• a
  • a
  • a
  • Eenglish
  • 日本語
酒蔵通りの歴史
▲写真撮影 '02年1月 船越雄治 氏

明治の中ごろ、海辺にある安芸津の町で酒造家の三浦仙三郎が生み出した醸造法は、その後「吟醸造り」と呼ばれ、安芸津の杜氏によって全国に広められます。東広島市の中央にある西条は、高所にあって冬の仕込みに適した気候と地下水に恵まれ、大正・昭和の初めに「酒都西条」と呼ばれる一大銘醸地になりました。そして昭和の初め、ここで吟醸酒造りには欠かせない竪型精米機が生まれたのです。さらに市の北部の高原台地では、夏の昼夜の温度差と良質な水によって、質の良い酒米が作られています。

こうして東広島市のあちこちで、今も最高級の吟醸酒が造られ、春には市内にある酒類総合研究所で全国の吟醸酒の審査が行なわれ、秋には全国の酒を一堂に集めた酒まつりがJR西条駅周辺で開催されています。


現在の西条駅前を東西にのびる道沿いに、江戸時代には細長く連なる宿場町がありました。それが現在の「酒蔵通り」と呼ばれている町並みの元になった西国街道(旧山陽道)の「四日市」という宿場です。 宿場の中心には広島藩直営の「御茶屋」と呼ばれた本陣が置かれ、藩内の宿場の中でも最大のものでした。

a
「四日市」と呼ばれた宿場町時代の「御茶屋本陣」跡に建つ御門(再建)

江戸時代は街道に沿った東西に細長い町並みでした

明治の中頃、町は「西條」と名を変えて、町の真ん中に鉄道を引き込み、停車場(駅)をつくりました。これを機会に明治の終りから大正の初めにかけて、街道沿いにある商家が次々に酒造りを創めたのでした。大正の中頃には線路沿いの南側に、当時はまだ珍しい酒造会社が三つも誕生し、それらの醸造蔵が次々と建っていったのです。こうして赤い煙突が立並び、白壁の酒蔵が続く「酒蔵通り」の町が誕生したのでした。