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白市(しらいち)の町並を歩こう
白市の歴史
白市は、三次、久井とともに牛馬市が江戸時代の初めごろから開かれ、 最盛期には期間中500頭にも及ぶ牛馬が集まったといわれます。 市の日には、劇場での興行や行商などが数多く見られ、近隣から多数の人々が集まり、賑わったようです。 また、広島、呉、竹原、尾道や三次などへ一日で行ける距離であったため、古くから交通の要衝で、市場町だけでなく、 宿場町としても栄えました。 先人の生活の中から生まれ、育てられた歴史を訪ねてみませんか? これらは、きっと私たちに自然と人間のかかわりあいや数々のふるさとのできごとを静かに物語ってくれることでしょう。
白市のみどころ紹介
高屋町白市の町並
白市は、戦国時代に白山城が築かれたことを契機に、城下町、市場町として発展した町です。
以来、町並は南北と東西の主要道路沿いに発展し、木原屋、沼田屋などの屋号をもつ大規模な瓦葺きの町屋がありました。
現在でも旧木原家住宅を始め、往時の家屋が各所に見られます。
木原家
寛文5年(1665)の鬼瓦があることから、江戸時代はじめに建てられた商家と推測され、瀬戸内沿岸地域でも特に古い建物です。
古い木組や通し柱から当時の繁栄ぶりがうかがえます。国指定重要文化財。
重満家
江戸末期から明治初期の建物。酒造業を家業として営んでいました。そのため、表にある跳ね上げの大戸から、
かつて敷地の後方にあった酒蔵に通じる土間は、三和土になっており、
運搬用の馬車の車輪にあわせて敷石が埋め込まれています。
伊原惣十郎家
家業として鋳物製造業を営み、京都御所の灯籠や厳島神社の青銅大灯籠を鋳るなど幅広く活躍した伊原惣十郎の住居です。
明治期の特徴を持つ豪壮なつくりで、町家の大型化をよく示した貴重な事例です。
かつては裏手の小高い場所に炉を設けていました。
養国寺
元暦元年(1184)創建。元々は真言宗の寺院でしたが、
天正年間(1500年代後半)より浄土真宗白龍山・養国寺と称しています。
本堂、鐘楼門ともに江戸時代の建物で、本堂は、当時のものとしては規模が大きく装飾的です。
廊下には、近郷に例を見ない二十四孝板彫りの欄間があります。
光政寺(こうしょうじ)
白山城址の西麓にあり、永正2年(1505)、15代城主平賀弘保が建立したといわれています。
境内には、享保19年(1734)の年号のある宝篋印塔や古い石灯籠、平賀一族の墓などがあります。
六地蔵
鶯塚の西側にある墓所の入口付近にまつられています。衆生を救済することを目的に、六体の地蔵を作ったもので、
高さ約90cmの立像5体と高さ約60cmの坐像1体からなります。坐像の台座には、享保19年(1734)の年号が刻まれています。
福岡八幡神社
高屋町高屋東徳光
天文年間(1500年代中頃)に鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請したといわれ、高屋13か村の産土神でした。
社殿などの普請は、平賀弘保が中心となって行い、元禄元年(1557)以降に完成したといわれます。
現在の本殿は、享保元年(1716)に再建されたもので、当地方最大です。
境内には、富士山をかたどった手水鉢があります。
「白市まちなみ探訪マップ」紹介
白市へおでかけの際は、是非「白市まちなみ探訪マップ」をご活用下さい。
「白市まちなみ探訪マップ」は、当ホームページである「東広島市観光ガイド」の
観光パンフレットページより、ダウンロードしてご利用いただけます。